2015年8月6日木曜日

18歳の頃の沢登り

8月5日(水)は、1人で上越の宝川ナルミズ沢へ。
富士山で、人疲れしていたようで、なんとなく1人になりたかった心模様。
<暑い林道歩き>

とはいえ、1人で山に居ると、思い返すは色々な人との記憶ばかり・・・。
我ながら、人好きです。
<自然があります>

私が、沢登りを始めたのは、大学に入学したての頃でした。
装備もろくに持たないまま、入門向けと書いてある奥多摩の坊主谷に高校時代の山友達と入渓。

(ハイキングシューズ、ロープなし、ヘルメットなし)
<穏やかな流れ>

当時から戦略は得意だった私は、敗退シナリオだけは入念で、必死で濡れないラインを選んで遡行を完遂。
(今時の沢登りが、積極的に水に入ることは知っていたが、それはさすがに独学で始めるのが怖かった。)

ただ、リスクに関しては全て机上の知識だったので、一発事故の対策はイマイチ。

「ホントだったら、ここはヘルメットして通過しないと落石が危ないのかもなー。」
「ロープがあったら、ここはもっと怖くないのかなぁー。」

くらいのボンヤリした感じ。
<ここのシャワークライミングは、唯一しびれました>

もちろん、大学で沢登りをやっている部活があったので入部はしていました。
でも、頑固な私は、そこで連れられて行く前に、1本だけは経験しておきたかったのです。

「自力で何とかなりそうな沢の1本だけは登っておいた方が、後々活きるに違いない。」
「山の危険を肌で感じてから、学び始めよう!」

という、怖いもの知らずな発想(笑)。
さすが18歳です。
<エメラルドグリーン>

その後、先輩に付いて1シーズン学ぶ流れになります。
夏休みの総決算は、北アルプスの双六谷に行きました。

毎度、ロープワークが古かったことばかり話題にあげておりますが、この先輩方は素晴らしい方々。

まず、とても謙虚。
大学1年生の私は、相当生意気だったかと思いますが、なぜか大学3年生、4年生の先輩は早くも大人でした。
<日本庭園の元になりそう>

そして、登山の方向性についても色々と示唆に富んでおりました。

①遡行図が無い沢に登る
②遡行図で高巻くと書いてある滝やゴルジュを登る

記録を書くこと、遡行図を敢えて見ないで登ることが、功名心ではなく冒険心をくすぐるのだという発想も語ってくれました。
<自然があります>

で、これが興味深いんですが、今考えても先輩方の沢登り技術は、レベルが低かったです。
その後、他大学の先輩と登っても、文部省の登山研修に行っても、自分の技術を改めるばかり。

でも、発想だけは冒険家や探検家と同じなんです!

ちなみに、冒険探検部という名前でしたよ。
(私は、1年で退部して、山岳サークルを設立しましたが。)
<源頭も歩きやすい>

もともと、先輩方が沢登りにのめり込んだのも、屋久島で杉探索をする際に、登山技術を高めておこうというのがスタートだったそうですから。
<ついでに、大烏帽子山も登っておきます>

私の教え方で、

たとえ低グレードでも、フリークライミングとかバリエーションルートに対する発想をしっかり持てば、初登者に近い冒険が出来るはず。

というのは、この先輩方から来ている部分が大きいんでしょうねー。

15年経って、強い影響を感じます。
<ヤブ山でしたが、名前は書いてありました>

で、22歳で本格的にクライミングを始めました。
24歳くらいの頃に、残置無視の発想(無視が大事なんではなく、自分でラインを拓くことが大事)に強い感銘を受けて、プラス10年経って今に至ります。

いやー、根っこは一緒ですよね。
<少しガスって来ました>

<ナルミズ沢の左俣を下降路に選びました>

<雪渓と草付きで、結構リスキーな沢でした>

<雷ゴロゴロの中を、下山>

記録
 7:30 試験場出発(宝川温泉より奥の林道終点)
 9:10 登山道の渡渉点より入渓
12:05 右俣より稜線のコル
12:25 大烏帽子山
12:35 コルへ戻る
13:10 左俣より下降開始
15:50 ウツボキ沢出合より少し上のあたりで、登山道に入る
16:10 入渓した地点に戻る
17:20 試験場

ところで、癒しの沢のつもりが、長すぎて結構本気で歩きました。
疲れましたねー。