2023年9月6日水曜日

卒業システムの様々な問題点

9月8日(金)の夜21時より、10月分の予約受付開始です。
よろしくお願いします。

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多くの講習生は、自分自身のことにせよ、周りの講習生仲間を見るにせよ、この問題を感じたことがあるかと思います。
「いつになったら卒業か分からない。」といったボヤキから、思いつく限りを書き出してみます。
<岩場リード講習、小川山>

さて、まずは前提の共有が必要です。

各クラスの卒業は、
「そろそろ自力で行ってみたら良いでしょう。」という私の見立てであって、
「もう教えることは無い。もう講習に来ないで大丈夫。」という意味ではありません。

例えば、ジムのリード講習卒業となれば、「そろそろ友達同士でジムでリードしてみたら?」ということです。
この段階に至るまでに、レスト態勢、足置き手繰り落ち、ビレイの立ち位置、ロープの弛ませ具合など、様々な項目の理解度を見ていきます。

理想的には、これを理解できた状態で、「安全に落ちるまで頑張るトライ」を見せてもらえたら良いわけです。
実際は、まぁ今回のトライはイマイチだったけど、ちゃんと反省できそうな人、今後も岩場リード講習で教えて行けそうな人には、卒業を言い渡す感じです。
<マルチピッチリード講習、小川山>

この時点で、3つの悩みが発生します。

①もともとリードしている人で、「これはちゃんと習わないとヤバい。」という自覚を持ってきた人の場合。

「卒業していないのに、リードしている。」という後ろめたさを感じるはずです。

実際、私を含めて一部の人からは、「あのビレイ、イマイチだなー。」、「落ちる距離とか、ロープの足絡みとか考えずに突っ込んでる感じで、いつか絶対事故起こすなー。」などと見られているのです。
そして、それを講習の中でボンヤリと感じたり、卒業させてもらえないという事実から、なんとなく落ち込んだり、講習や私のことが嫌になったりするでしょう。
<この日で、TGさんはマルチピッチ講習を卒業としました>

②卒業用件は、説明できない。

そもそも、「まだ出来ていないことを把握することが至難。」という事実があります。
登りがバタバタしている人も自分なりに安定していると思っているし、ビレイの立ち位置がイマイチな人も自分なりに理解してやっているつもりだったりします。
何より、「自分は安全だ。」と思いたい、「自分はダメじゃない。」と思いたい、という自己防衛の心理があるので、よほど分かりやすい状況設定をしてから説明しないと、反感を買うことすらあります。

この状態の方に「私は何がダメなんですか?」と聞かれて、「あれも出来ていない。これも出来ていない。」などと言っても、お互いに不快な時間が流れるだけです。
したがって、講習メニューの中で、本人なりの気づきを促すように努力することしか、私にはできません。

ちなみに、全然できないんだけどセンサーだけは良い人がいます。
「自分の登りの荒さが嫌い。」とか、「ビレイについて時々注意されるんだけど、イマイチ統一的に理解できていないのか、人によってビレイの好みが色々あるのか分からない感じで、同じ過ちを繰り返しそう。」といった、無知さの自覚がある状態です。
ただ、こういう人は、自分の至らなさが数多くの点で見えてしまうでしょうし、「山岳会などの先輩も結構いい加減なんだな。」と初心者時代から見えてくると思うので、山岳会にせよジムのリード初中級グループにせよ、馴染めないかもしれません。

生きづらい世の中ですが、真理に気づいてしまったからには、逃れられない訳です。
<自分のクライミングにて、不動沢の矢立岩>

③卒業後に受講を継続するモチベーションを保ちにくい。

例えば、ビレイの立ち位置にしても、ジムリードから始まり、岩場リードでも繰り返し講習していきます。
おそらく、ほとんどの講習生にとって、ジムリード講習卒業の時点では私の説明したことは理解はできても実践には程遠い状態なのでしょう。
これを、岩場リードでも落ちる練習を繰り返すことで、どうにか一定レベルにまで実践できるようにしてもらいます。

つまり、卒業の条件「そろそろ自力で行ってみたら?(一応、形にはなってきたし、なぜそうすべきかも知識としては理解できたでしょう。)」と「本当に、講習内容を理解して、自分なりに考えて判断・実践できる。」ことの間には、大変な隔たりがあります。

そういうことも、ボンヤリとは感じるんだけど、卒業までに掛けた時間・金額を考えると、もうこの辺で修行を終えたい(あとは楽しく登りたい)、という気持ちも分かります。
<1P目をリードする省二さん>

さて、③に関連して、せっかく講習で覚えたことも忘れたり、悪い習慣に戻ってしまう、という現象について考えます。

先ほどのビレイの立ち位置だと、「本当に理解して、自分なりに判断・実践できるようになった人」は、そうそう忘れたり、戻ったりすることはありません。
しかし、その手前の段階で、「一応、良い立ち位置でビレイしていて、なぜそうするかも知識レベルでは知っている人」は、すぐにダメになります。「フワッとした理解だと、サボるメリットの方が大きい。」とでも言えば、状況が想像できるでしょうか?

言い換えれば、深い理解の人は不退の状態にあり、浅い理解の人は簡単に戻ってしまいます。

今は、ビレイの立ち位置を例に取りましたが、講習で扱う内容は、ムーヴ、オブザベ、ロープワーク、様々なリスク管理、ほぼ全てこの話にあたります。
本当は、全ての内容を深い理解にまで至ってもらいたいところですが、各クラスの卒業までの短い期間(5回〜10数回程度)では、到底難しいようです。

また、クラックリード講習を卒業した後に、マルチピッチ講習やアドバンスクラック講習を受けていただければ、先ほどのビレイ位置習得の話と同様に、少しずつ理解を深めていただくことも可能です。
その点では、本来は次のクラスまで受講しなければ、深い理解は得られない、という話になります。

じゃぁ、マルチピッチ講習のように、次のクラスが設定されていない場合は?
マルチピッチ講習の復習参加を推奨?冬山や沢登りの講習を推奨?と、いよいよ終わりなき修行感が漂います。
<Mr.スランプ(5.11c)にトライする私、上部でフォールして、宿題に>

さて、ここまで書いてきて、問題の本質を俯瞰してみます。

深い理解、無知の知、辛くても真実を見る、全てを漸進的にマシにしていく、といった講習の性質と、「卒業」という言葉がミスマッチです。

日本の義務教育を受けてきた私達が「卒業」という言葉から連想するのは、もっとインスタントだったり、習得状況に関わらず回数・期間で修了できるものでしょう。
そして、自動車教習所のように「卒業したからには、もう通わなくて良い。」、「免許をもらった。」ような認識になるのも、理解できます。

しかし、卒業システムが無かった開業当初の数年間に比べると、継続受講の一つのモチベーションになっていることは確かなようです。
5回、10回と通っているうちに、「どうやら、この講習はインスタントなものでは無い。」と気づいてくれる方もいます。
功罪あるシステムですが、今のところ別アイデアも無いのです。

「全ての講習内容が深い理解となり、決して後戻りすることの無いの状態になり、あとは講師などいなくても仲間との討議や学び続けられる。上級者からのアドバイスや見本は、ごくたまにで十分。」
という状態になれば、それは真の卒業なのでしょう。

ただ、これは卒業というより、“悟り”に近い感覚なのでは無いかと思います。

ちなみに、講習生という枠を外して考えると、そういう雰囲気をまとった人は、ジムであれ岩場であれ、ときどき見かけます。
大抵の場合、こういう人は何かに秀でているので、ジムで見かける場合は僕なんかより遥かに登れる人が多いのですが。
<マルチピッチリード講習、小川山>


まぁ、初心者にもパッと見で分かるようなシステムでありつつ、中級者も学び続けられるような内容、というのは両立が難しいですよね。

本当は、マルチ講習をやるぐらいになってからが、ようやく話が分かる感じになってくるので、いよいよ教えたいことは沢山あるし、マルチ講習したいエリアも山ほどあるのですがねー。
<この日で、KTさん、Mさんも卒業にしました>

<「スラブの大平原・・・」by Mさん>

<クラックリード講習、瑞牆>

<マルチピッチリード講習、小川山>

<戻れないムーヴで突っ込み、後々反省することに>


<無事にトップアウト>

9月3日(日)、自分のクライミングにて瑞牆、ピカソ(4級)。
入門的なインバージョン課題という評判で、気になっていた1本。

無事にO.S.して、逆向きとか別ムーヴとかで、合計7回登って遊びました。
下半身に効くトレーニングなので、登るたびに歩くのがフラフラになっていきます。

その後、真理さんに教えてもらって黄金狂時代の右を見学に行ったら、結構感動しました。
色々、行きたいエリアが増えてきました。