初心者が夏山登山道を歩いていて、歩き慣れてきた頃には、山が分かった気になります。
実際、僕も高校生の頃にそうでしたが、山と高原地図は読み込める感じになっていましたし、夕方にヘッデンを装着するタイミングも手慣れてきたり、山歩きの入門書に書いてあるような内容も実感を伴って理解したり、部分的には筆者に批判的な意見を持てるようになっていました。
しかし、登山道の無い尾根となると、グッと敷居が上がります。
本格的な読図が必要になりますし、ロープが必要な場合もあります。
迷った人が沢に降りたくなってしまう心情も、ヒシヒシと伝わってきます。
<50mぐらいの滝の下部で、ロープを付けずにムーヴ練習>
登山道の無い尾根は、当時はルート図集もなく(今でも少ない)、当時はブログなどでの情報も皆無でした。
まぁ、そもそも1990年代は、携帯もパソコンも持っている人が多くはなく、大学生になってPHSか携帯のどちらかを持つような感じでしたが。
そのため、行きたい尾根は自分で地形図を見て決定することになります。
敗退した場合のことも、よくプランニングしてから向かいます。
携帯電話が山で通じないので、ビバークしても捜索は計画書頼みです。
当然、GPSも持っていません。
<小犬殺しをリードするTGさん>
当然、自分の至らなさが目に付きます。自分が今まで遊んでいた範囲が、いかに人の手によって整備されていたのかを思い知ります。
そして、プランニングの段階から、安全圏に到達するまでの間、本当に色々なことを想定して戦略を楽しみます。
言い換えれば、
●謙虚さの維持
●不安心理をリスク管理能力の向上のきっかけとするエネルギー転換
という2つの要素です。
今となっては、これが本物の山に登るメリットだと感じています。
奥多摩の名もなき尾根ごとき、という話も分かるのですが、登山道と比べて本物の山だったわけです。
<入門砦でも、ムーヴ練習>
その後、大学で沢登りや雪山を始めますが、当然ながらトポ(沢ならば遡行図)のあるルートに行った回数の方が多いです。
多少なりとも本物の山を知っていたにも関わらず、トポには文句を付けたくなるのが人情です。
滝のグレードが間違っている(自分たちの体感と大幅に違う)、巻き道の記述が間違っている、大きな滝の個数が間違っている、難易度に誇張表現がある、入渓ポイント・枝沢の記述が分かりにくい、などなど。私も仲間たちと色々喋りました。
そして、しばらくすると写真のバンバン載っているトポが登場し、有名ルートは非常に間違えにくくなりました。
その後、携帯電話が通じる範囲の拡大、ブログなどでの情報量の増加、GPSの普及、などが起こりました。
<雪上訓練Lv.2、方丈山〜柄沢山>
講習生を含め、色々な初級者の人と話していると、「○○のルートについて、まだ調べ込んでいなくて。」という発言をよく耳にします。
つまり、山に行く前の準備として、他人のブログを読み漁り、遡行図やトポの情報量を果てしなく増やして行こうとするのです。
幕営適地、雪崩の実績、迷いやすいポイント、雪庇の方向、ロープを出した箇所、親切心から意図的に詳しい情報を載せている人もいます。
まるで、素人さん向けの富士登山案内のページの様相です。
そして、それをしないでオンサイト重視の感覚で山に向かう人を、危険登山者として非難する風潮もあります。
<方丈山の頂上、昨年はここで幕営しました>
しかしながら、オンサイト重視の感覚で山に向かうことは、先述の
●謙虚さの維持
●不安心理をリスク管理能力の向上のきっかけとするエネルギー転換
という2つの要素があります。
地形図や少量の情報から、色々想像して、敗退方法を考える時間をたくさん取るのです。
これが、長い目で見たら我々をもっと思慮深くさせてくれるでしょうし、長い目で見たら安全かもしれません。
<柄沢山への縦走>
そんな考えもあり、雪上訓練Lv.2ではトポに載っていないような雪山テント泊縦走を行っています。
今回は、昨年敗退した上越の方丈山〜柄沢山。
多分、1年に1パーティ冬期縦走するかな?くらいのルートでしょうから、当然ノートレースですし、藪もあります。
雪崩地形も自分で考えて歩きますし、幕営地も探しながら歩きます。
現場で状況を見て、ラインも変えますし、下山予定の尾根の変更や、行動時間読みの修正も行なっていきます。
まぁ、取り立ててすごい話では無いと思います。
ただ、最近の初級者はこれが本来のスキルだと意識していない人が多いように思えます。
山岳会に入ったならば、5年先、10年先に身につけるべきスキルの総体だと思うのですが。
例えば、僕より少し上の世代で、沢登りで地域研究と称して一山域をしらみつぶしに登り、遡行図集を書いたような人たちもいます。それほど強くはないメンバーが、地形図や山域の特徴から、そんなに難しくない沢だと見越して入ることもあったはずです。
つまり、各時代のトップクライマーの初登攀だけの遊び方では無く、一般レベルでも十分に辿り着ける目標地点だと思います。
<雪面をならして、幕営>
便利が、全て悪い訳では無いです。
例えば、15年ほど前までは天気図をラジオで書き取っていましたが、これを携帯の画面で見ることは労力の削減になります。
ただ、ピンポイント予報に踊らされて、「どこどこの予報会社が当たるらしい。」とかの情報にばかり詳しくなり、予報が外れたら文句タラタラというのは、思考停止というものでしょう。
低気圧や前線の位置から、「予報が外れるとしたらこんなストーリーかな。」ぐらいの予想は立てて、自分の行動計画を決めないと、バカになってしまいます。
GPSを持つなとは言いませんし、今時は携帯に内蔵されてしまっています。しかし、GPSを見ながら歩いて自分が地図を読める気になる現象に陥っているとしたら、バカだと言わざるを得ません。
これに限らず、ギアの進歩だって、悪いことだとは思いません。
ただ、これを使うと考えなくなりそうだな(「バカになりそうだな。」)という感覚は、常に鋭く保っていたいものです。
<1日目に、そのまま柄沢山へアタック>
こういう考え方は、当塾講習の
●残置無視トポ無視のマルチピッチ講習
●ボルトルートやクラックでも、トップロープリハーサルを禁止して、オンサイトグラウンドアップ
などに典型的に現れていますが、ジムクライミングから日常生活にまで根底には通じるところがあると思っています。
<縦走>
私にとって、謙虚さを維持して思考停止を避けるための手段は、ときどきこういう山に入ることです。
一方で、一般的なスポーツマンにとっては、これは試合に相当すると思っています。
つまり、クライマーであるためには、コンペに出るか本物の山と触れ合うか、どちらかが超重要なのかな、という感覚です。
これさえ続けていれば、「人のせいにしたり、言い訳したりしても、自分が悲しくなるだけだ。」という最低ラインを守りやすいように思います。
<ときどき現れる見晴らしの良い場面>
今回の話は、あくまで観念的な話です。
「もっと厳しい人跡未踏の地じゃないと、本物とは言えない。」
「人の手が云々よりも、ストイックに困難に挑戦しつづければ思考停止にはならない。」
「ボルダラーなんかは、コンペに出なくても良い心構えっぽい人は多数いるよね。」
とか、細かい議論の粗は分かっています。
私が関わる程度の、初級山岳会の方々や、講習生の皆さん、ジムのリードエリア、などでの総合的な印象ですので、すごい人たちは気にしないでください。
<2日目も、訓練のために柄沢山に再度登る>
<地図読み>