9月13日(水)は、1人沢登り。
上越の巻機山にある、米子沢。
<入山時は、小雨で嫌気が・・・>
本来の意味は
「どんなに外見が立派でも、内容が伴わなければ優れているとは言えない。」
らしいです。
<小雨>
「山は、標高だけが全てじゃない。」
でした。
イメージ的には
「ヒマラヤの高山より、バリエーションルートの方が難しこともある。」
「どこを登ったかより、どう登ったかが満足度を決める。」
「山は、難易度追求だけじゃない。易しい山で自然を愛でるのも、良いことだ。」
などなど、方向性は色々あるにせよ。
<ここで、行きつ戻りつ時間を食う>
私は、登山を始めた頃は高い山に憧れましたし、クライミングが上達し始めた頃は高グレードにも憧れました。
ヒマラヤ登山とか、アルパインクライマーの記録とか、平山先生のビッグウォールオンサイトトライとか。
<落ちてデザイア>
“山は高いだけでも十分に価値があるからこそ、そこを目指さなきゃいけないような気がする”
って心理へのアンチテーゼ、だと思っていたわけです。
好きなことをすれば良いじゃないか、という話。
で、いつもこの言葉を頭に浮かべては、自問自答する訳です。
<綺麗だけど、ヌルヌル>
山にせよ、クライミングにせよ、自分より短期間で上手くなる人には、やっぱり自分より真摯な心構えを感じますし。
例えば、ジムで99%登れるルートだけ登って帰るのは、堕落な気がします。
でも、マルチで99%オンサイトできるルートに行くのは、山の楽しみ方ということで勘弁してもらえませんか・・・?神様。
といった具合。
<荷上げすることに>
いくらトポを読まずとも、学生時代から聞いたことある上に、講習生の誰々が登ったとかまで知っちゃっているから難易度予測できちゃいます。
自己否定派:「登れると分かってる所にばかり行くなんて、ダメな奴め。」
肯定派:「いやいや、行ったことないし、案外怖いかもよ。それに、山は自由だよ。」
否定派:「また言い訳野郎が!限界的な練習だけが、成長を促すのだ。」
肯定派:「良いじゃん、好きに登らせて。」
<ロープを出すと、なんとなく楽しい>
さて、行ってみての感想。
①めちゃくちゃ楽しくて、「チョーおもしれー!!!」と連発しながらの滝登り。
②予想より、だいぶ悪くてビックリ。(雨後ってのもあるかもしれないけど、長いナメ歩きが滑ったら最後っていう緊張感マックス)
「まっさかさーまーにー 落ちてデザイアー」と歌いながら楽しめたけど。
③死の恐怖がリアルな分、沢は易しくても真剣になるから、意外と勉強効率も悪くないかも(笑)。
<小滝>
「このために生きてる!」
って思いました。
やっぱり、好きなことをやるのが良いです。
ある程度、真面目になるぐらいがベストです。
<渡渉に苦戦>
ちなみに、米子沢って意外と難しくないですか?
6時間強で抜けたんですが、卒業生の記録を読んだら4時間半でビックリしました。
まぁ、私がヌメったナメ歩きに、ものすごく時間を掛けているからだとは思いますが。
数年前の笹穴沢でも、それで深夜下山のドハマリをしてますしね。
<こんなんでも、ヌルヌルで意外と怖い>
行動記録
8:10 桜坂駐車場を出発
8:25 入渓
14:30 登山道に到着(避難小屋よりも、100mほど上に出てしまった)
14:50 巻機山のおそらく真の頂上
17:20 桜坂駐車場に到着
<さすがに、安堵できる傾斜>
<巻機山の標識>
<だが、5分歩くと>
<数十m高い、最高点がある>
<穏やか>
<冬に泊まった避難小屋>
<麓町と雲海>