2025年10月3日金曜日

富士山周辺のあれこれ

今年は、富士山における雑学(観光案内のネタなど)へのモチベーションが少し上がった年でした。

理由①
榎戸さんを筆頭に、太子舘ガイドみんなが年々詳しくなっていて、劣等感が強まる。(もともと観光ガイドは苦手分野・・・。)
今年は富士山直前時期は仕事が忙しく、7月の富士山も人手不足で連続勤務が多かったため、お勉強する時間がほぼ無し。結果、昨年以上に自分の観光案内がダメだった。

理由②
今年の8月後半、岩場は暑すぎるように思えた。
7月の富士山ガイド明けでは、とても成果が上がりそうになかったので、ジムでトレーニング主体にした。
結果として、山の準備・片付けが無いので、空き時間があった。

「富士山ガイドは観光案内が本分では無い」のですが、「下手すぎるのは良くない」のも事実です。
お勉強をしても、記憶が脳内で関連付けられないと意味がないので、この機会に富士山周辺を少し歩いてみることにしました。
<ワゴニア>

さて、先日のメジャールート(御殿場〜富士宮、須走ピストン)に続き、今回は有名だけれど登山道でないライン(or廃道)を交えるシリーズ。

初回は、ガイド仲間の企画に乗っかり、ワゴニア見学。
昔は、車両規制などは無かったので、どこまで頂上を目指せるかやってみて、動けなくなった車両だとか・・・。

御殿場〜須走へとトラバースして行く踏み跡は錯綜しているので、砂場のキックステップみたいな感じも交えつつ。

3時間のハイキングですが、アクティブレストを兼ねて、楽しめました。
<ガイド仲間の2人>

<富士山の沢状地形は、溶岩流によってできたものや、崩れ(崩壊)でできたものなど>

<沢状地形を渡る>

<今回、めちゃくちゃ見かけたフジアザミ>

<車の都合もあり、須走〜御殿場に戻る>

2回目は、富士の樹海。
大室山周辺のハイキング。
今回は、榎戸さんが仕事の下見がてら行くのに、ガイド仲間2人で便乗させてもらいます。

私は、学芸大学の冒険探検部に9ヶ月間だけ所属していたのですが、そこの新歓合宿がこの辺りでした。

・前夜泊する際に自殺しようとしている女性を発見して、先輩が車で病院に運ぶ。
・読図練習として、何グループかに別れてオリエンテーリング。(尾根と沢が不明瞭な地形なので、難易度は少し難しい。ただ、巷で言われているよりもコンパスは効く。)
・風穴、氷穴に入ってケイビング体験。
・夜は、探検部あるあるの無茶ぶり飲み会。

という思い出深い場所です。
<風穴>


<大室山>

<富士山が見えるポイントチェックに余念がない榎戸師匠>

富士吉田市街、大月〜河口湖の高速、三ツ峠の岩場(マルチ講習中)の3カ所からの富士山は見慣れています。
樹海からだと方角が違うため、富士山の形が違って見えます。
<しばらく行くと、富士山がめちゃくちゃ見えた>

今回も半日コースにて、アクティブレストな感じ。
3回目の最終回は、御中道の一周。
こちらは、9月中旬になってから。

経験者の話によると12時間ぐらいとの見積もりで、道も廃道化しており、割と本気の登山です。
GPS無しで行きたかったので、それを了承してくれるガイド仲間のS君と。

暗いうちにスバルライン五合目をスタートし、明るくなるぐらいに、吉田ルートから踏み跡に入って行きます。
しばらくして、須走に到着。
<須走の御胎内を見学>

須走〜御殿場までは踏み跡不明瞭ながら順調。
午後は雨予報ですが、朝から降ったり止んだりに・・・。

宝永山も一応寄っておくと、暴風。
宝永山には巻き道があるため、「ツアーなら、本日は巻き道を選ぶかも」という感じです。
富士宮〜大沢崩れまでも、踏み跡を追うが、頻繁に見失う。
地形図・コンパス・山勘で、踏み跡と再合流したり、見失ったりを繰り返しつつ、進む。

<コンパス、地形図によると、大沢崩れ付近にいると思われるが、ガスり過ぎて判別不能>

<ビショビショでも楽しそうなS君>

大沢崩れ周辺を2時間ほどウロウロして、ようやく話に聞いていた渡渉ポイントを発見。
時間切れ敗退リミットの直前、もう諦めて富士宮に戻る10分前ぐらいでした。

大沢崩れを越え、暗くなる1時間前に大沢泊まり所(御庭〜大沢崩れにおける、廃道ではあるが割と明瞭な踏み跡の終点)に到着。
ホッと一安心。

ですが、最後のスバルライン直前で踏み跡を本格的に見失います。
しばらくはコンパスだけを頼りに、スバルラインを目指します。

が、暗くなって30分ほどして、いい加減に自分たちの地形図読みに自信を失い、Googleマップで現在位置を確認しました・・・。

個人的に、非常に残念な結果でした。
※山行自体は楽しかったのですが、私にとっての当初目的は敗北という意味。

さて、敗因分析。
①思ったより大変なので、小雨の中で行くと通過危険場所が増える。クライミング経験者でないと、ロープが欲しいぐらいの場所もある。ガスの影響もあり、ルーファイのロスタイムが何時間になるか読みづらい。
→本気で完登(巡り?)を狙うなら、天気予報を見ての延期もあり得た。思った以上に余裕は無いので、御胎内見学カット・宝永山を巻き道でカットなどをして、10分ずつぐらい時間短縮しても良かった。

②大沢泊まり所で、「もう勝った!」と安心しきって、そこから地形図をそれほど凝視しなくなった。踏み跡を追うことだけは頑張り続けたが・・・。
→正式登山道に到着するまで、かなりバッチリな登山道跡でも油断すべからず。

③暗くなったところで、ライトを見かけたので「もうスバルラインに到着したか?あるいは明瞭な登山道をナイトハイキングする登山者か?」と思って駆け寄ると、キノコ狩りと思われる人で、その場で別れた。そこに駆け寄っていった5分ほどで、さらに現在位置の把握がいい加減になってしまった。
結果、そこからコンパスだけで踏み跡の無い樹林帯を歩く際に、若干の不安が拭えなくなってしまった。
→②の話と同じ構図。

最後は、暗い中でスバルラインを目指してコンパスで適当に斜面を降り続けましたが、さすがに翌日の仕事やら、遭難連絡人の心配も頭をチラつき、観念して携帯GPSを付けてしまったという顛末です。
※結果としては、スバルラインから徒歩10分ほどのところに居ました。

楽しい山行ではありましたが、登った(巡った?)とは言い難いですねー。

3回目の御中道だけが、なんだか観光ガイド云々の話から逸れて、すっかり本気トライを楽しんでいます。
暗い中でスバルラインをトボトボ歩いたのも合わせると、結局15時間ぐらい行動したので、翌日は全身筋肉痛。

それにしても、コンパス・地形図の無い時代に踏み跡が薄かったら、かなり大変だったでしょうねー。修験道や富士講の全盛期は踏み跡も濃かったのかもしれませんが、それ以前の先駆者たちは凄いっす。

リベンジしたいですが、今度は晴れた日に行きたいですかね。