例①
いかにも肘や肩を壊しそうなフォームで登っている人を見かけると、気になる人はいると思います。
私も、そういう部分はあります。
ただ、ちょっとアドバイスしたぐらいでは、良くならないケースが大部分です。
ときどき、10分のレクチャーでも少し伝わって、多少だけマシになることもありますが。
講習生であっても、「肘が痛くてフォームを直したい」という希望で10回以上をムーヴ講習に通ってくれるような方でない限りは、ちょっとアドバイスするに留まります。
もちろん、ジムで知り合いと5分程度立ち話するのと、講習生に1時間とか練習に付き合うのでは、できることは違います。
そして、故障するとクライミングから離れます。
一定期間登らないことで、ひとまずマシになりますが、登ると再発する人が多いです。
そして、二度と戻って来られない人もいます。
痛くなってからフォームを直す必要に迫られても、ここで突然と真面目に向き合う人間に変われるでしょうか?
講習を受けるにしても、1回や2回では効果が限定的だと予想されていて、しかも10回受けても劇的に変わるとまでは保証してくれないものです。ここに、自分のクライミング日程を全振りできる人が、どれだけいるでしょうか?
「だとすれば、早めに気付く機会を!」とは思うものの、フォーム矯正は一時的には以前より登れなくなるケースが多いです。
今現在、普通に課題を登って楽しめている人に、これを課すのは厳しいものがあります。
だから、ほとんどの人は、そのフォームのまま行けるところまでグレードを上げて、加齢と共に故障して行きます。
もちろん、モチベーションが非常に高い人には、フォーム矯正は他の価値があります。
1年後、2年後には、以前より大きな筋肉が使いやすくなり、登れるようになる可能性が拓かれるからです。
また、フォームが悪い人は、日常生活でも姿勢が悪いので、加齢とともにクライミングをしなくても故障が続き、老化が早まっているように見受けられます。
できれば、クライミングを通して、自分の身体を見つめ直す習慣を付けてもらいたかったと思います。
例②
リードで、雑な登りの人を見て、その人の口から岩場(スポート、クラック、マルチ、バリエーション、アイス、沢登り、なんでも)に行っている話を聞くことが日常茶飯事です。
足置きが雑、レストが下手、行きつ戻りつに適したムーヴ選択という概念が無い、などなど。
その人が、純粋なジムクライマーであれば、まだ心は痛みません。
本当にジムで危なっかしい場面でだけ、注意すれば良いのですから。
個人的に問題は、「ジムでは良いけど、岩場で出会ったら怖くて見てらんないよなー。」と思う人の口から、岩場の話を聞くことです。
そして、ちょっとアドバイスしたぐらいでは治らないのも、骨身に染みています。
例③
リードで、チョンボクリップ(他のホールドを使ってクリップ)するのが、常態化している人も日常的に見かけます。
これも、例②のムーヴの安定感(行きつ戻りつや、厳しい場面でのクリップ姿勢)、他にもビレイ技術やフォール技術、などと向き合っていない証拠であるため、悲しくなります。
岩場で自分が怖いと思う場面では、トップロープやチョンボ棒を使えば安全にトライできると思っているのでしょうが、これらに向き合わないことが、巡り巡って自分の首を絞める日が来るでしょう。
また、フォームの問題と同じく、ヒヤリハットがあっても反省点を見つけるのも下手くそになるでしょう。「次回から、そこの場所はプリクリしよう。」という短絡的な回答を、毎回繰り返す人間になってしまうので。
そういう人に、「チョンボクリップは、やめた方が良い。」とだけ言っても、ピンと来ないでしょうし、それで中途半端に成功体験(色々なルートをR.P.してきた、グレードが上がってきた)がある人ほど、そう簡単には変えられないでしょう。
むしろ、最近始めたモチベーションの高い人に話した方が、理解が早かったりします。
一方、僕が行くランナウトの昼の常連さんとかは、もはや岩場にほとんど行かない層なので、例②や例③では、心は痛みにくいです。
同じ構図で、岩場に行かない人がほとんどのボルダージムがあれば、周りにどんな雑な人が居ようと、私の胸は痛みません(笑)。
例①は故障、例②と例③はリスク管理に関わる話です。
いずれにせよ、ジムで知り合いとする雑談としては重過ぎます。
・あの課題のムーヴはどうだった?
・このルートは、グレードの割に難しかったよ。
・今日は〇〇だね。
ぐらいの話の方が、気楽です。
生産性も低いですが、雑談に適しているので、積極的にするときがあっても良いと思います。
似た構図として
「なるべくムーヴは人に教わらず、自分で考える時間を大切にしたい。」
「オンサイトを大切にしよう。」
「集中力不足のトライをするぐらいなら、他のトレーニングと割り切った一日を作る方がマシだ。」(お触り、という考え方への戒め。ボルダーと比べて、リードはバラせばR.P.できるぐらいの難易度に取り付くことが多いため、これを戒める必要性が大きい。)
みたいな数々の心構えがあると思いますが、まぁ重い話ばかりで説教臭くなってしまいます。
ただ、これらの例は、イマイチに見えても胸は痛まないのです。
「故障とか、岩場での事故のリスク要因に対して、見て見ぬフリを毎日繰り返して来た。」
という自責の念は起こらないですからね。
人間は慣れる生き物だと言いますが、なかなか慣れないですね。
むしろ、年々クリアに見えてきてしまうために、孤独すら感じます。
自分自身も、他人から痛々しく思われている部分があるのでしょうから、まぁ自分だけが特別という訳でも無いでしょう。