クライミングは、メンタルへの負荷が結構高いと思います。
・本気トライで、登れると思ったのに登れなかったとき。
・パートナーが、同じ課題をトライして、自分より先に完登したとき。
・リスク管理に関してディスカッションをしたけれど、上手く伝えられずに若干の険悪な雰囲気になったとき。
・自分の能力の低さ(〇〇が出来なさすぎる、など)を痛感させられたとき。
・最近練習を始めたことが、全く本番で活かされなかったとき。
・自分のリスク管理方法に誤りがあると、認めざるを得ないとき。
・自分の練習習慣に誤りがあると、認めざるを得ないとき。
これらは、ほとんどの人にとって嫌な場面だと思います。
実際、不機嫌になる人、これが嫌で真面目に練習しない人、一応本気でやっている風なんだけど悔しがることや反省点の抽出を思考放棄気味な人、など様々な人がいます。
人によっては、もっと些細な点でイライラしたり、落ち込んだりしています。
また、経験が浅いうちは、経験や技術を評価する尺度がグレードしかないため、グレードに振り回されることもあります。
・ホームジムのグレードが辛くなって、自分が退化した気分になる。
・グレードが辛めのジム、岩場に行って、自分でも理由がよく分からないぐらい落ち込む。
・自分が苦労して完登したルートを、周りの人が「グレード甘めだね。」とコメントしたことに怒ってしまう。
・「このルートが、いかに自分が不利か!(例えば、リーチ)」を力説しているところ、「でも、こういう要素も考慮すると、そうでもないんじゃない?」などと反対意見を言われて怒ってしまう。
また、スポーツ的な要素も見過ごせません。
・パートナーや同時期に始めた仲間の成長速度に付いていけない。
・成長どころか老化を感じる。
さて、これらの問題に対して、どう取り組むべきでしょうか?
まず、問題を3つに分類します。
①「スポーツの厳しさ」への心構え
・競争心の負の側面
・老化
・練習不足、的を得ない練習方法による、後々の成績不振
・体調不良とリハビリ期間
・成績への一喜一憂
②「リスク管理の厳しさ」への心構え
・自分は出来たつもり、によるツケが回る現象
・他人から指摘される不快感
・ディスカッションの難しさ(お互いに、ある程度の言語化能力がないとモヤモヤして終わる)
・勉強不足の後ろめたさ
・事故当事者パーティになったときの強烈な自責の念
③「人間関係の難しさ」への心構え
・同性パーティのデメリット、異性パーティのデメリット
・上下関係のデメリット(上は下をコントロール下に置きたがる、下は上に依存する、など)
・イコールパートナーの難しさ(過剰な競争心を制御する必要性、平和的にディスカッションする能力の必要性)
・パートナーへの過剰な期待
・練習方法、トライへの姿勢、リスク管理を指摘したが、ディスカッションが上手くいかなかったことによる人間関係の綻び
僕自身を振り返ると、①、②、③全てを登山とクライミングを通して学びました。
ある程度、落ち着いた考え方に至るまで10年以上は掛かったと思います。
同じ構図の不快感を2〜3回ずつぐらいは味わった結果、「こういうもんなんだな。」と諦めが付いたのかもしれません。
そして、講習生が落ち込んだり、仲違いする様を見てきて、さらに理解を深めています・・・。
一体、何周回っているんでしょうね?
また、講習生の場合、30〜50代でクライミングを始めるパターンが多いため、元々の人生経験にも左右されるように思います。
例えば、他のスポーツを真剣にやっていた人であれば、①だけは嫌と言うとほど経験あり、チームスポーツなら③もある程度は分かっているとか。
講習生には、医者、弁護士、エンジニア、などがおりますが、こういった方々は、②に対する心構えは良いようにも思えます。
他にも、仕事柄③は得意という人もいるように思います。
さて、「自分自身の精神的ダメージを減らすにはどうしたら良いか?」という、最も本質的な問題はどうしましょう?
A)俯瞰する
上述の、どの状況にあたるのか?
問題の改善点を提案する意識。(「悩むより考えろ」というイメージ)
B)極力、自責思考にする
他責思考に陥ると、その場は自責の念が薄まるため、防衛反応として考えがち。
しかし、そのツケはいずれ回ってくる。
C)同じ構図の不快感は、いつか再び訪れると覚悟しておく
本気トライで、取りこぼす時などは、日常茶飯事。(そもそも、成功率20〜80%ぐらいだから本気トライなのです。)
イコールパートナーとディスカッション失敗して微妙な空気になる時もある。
心の準備がない突発的な不快感に対しては「一人になって頭を冷やす」ぐらいしか対策が難しいように思います。
こうやって抽象化すると、なんとも当たり前なのですが、その場になると結構難しいものです。しかも、一度不快になると、他人の些細な行動・言動にまでイライラしてしまうという悪循環もあります。
真面目にやるからこそ嫌な思いをするものです。
その気持ちは痛いほど分かるので、「いい加減にやれば良いや」という投げやりにはならないで欲しいものだと思います。
「スポーツ選手が小中学生の頃に味わうような挫折やメンタルコントロール体験を、我々は大人になってから味わっている。」
と考えれば良いかもしれません。