5月28日(木)は、富士山ガイド仲間の2人と、山梨の低山へ。
今回は、新企画の偵察なので、一応仕事ではあります。しかし、遊びなら県またぎはダメだとは、思っていません。
ここで、「仕事だから許して。」みたいな態度を取ると、僕自身の首を絞めることになります。
不要不急の外出を、よく考えてすべきタイミングだと思います。
リスクを分類してみます。
命のリスク
①実際の感染拡大リスク
②事故を起こした場合の医療ソース圧迫
感情のリスク
③地元住民からの反感
④自粛している人からの反感(極端な例が、自粛警察)
感覚的リスク
⑤「なんだか、色々怖い。心配。」
ここに、政府方針がどう位置付けられるのでしょうか。
①、②の評価は人それぞれなので、全員一丸となって社会活動をストップさせるという理屈は、理解できます。
そのやり方が、③、④を利用した同調圧力戦術だったのが、かなり不安になりましたが。実際、いま山に行きにくいのって、その弊害だと思うんですよ。
ただ、緊急事態宣言解除って元々の背景からすると
「徹底した接触機会削減からの移行」。
つまり、
「①、②の評価、感染予防の習慣化を、個人に委ねるフェーズに入りました。」
って意味だと僕は理解しています。
(ごく一部の施設だけ、休業補償出して停止させるのは、アリとして。)
しかし、現実は段階的解除ということで、業種ごとのお許しを待つという状況になりました。
ここで、お許しを待つのが正解なのでしょうか?
それとも、各自がリスクを評価して、行くかどうか、エリア選びを行うことが正解なのでしょうか?
少なくとも、僕は自己判断するべきフェーズだと思いました。
そうでないと、2つの嫌な未来が浮かびます。
・お許しが出たエリアに人が集中して、本末転倒。
・段階的解除の文言解釈による違いで、同調圧力が持続、再燃。
それでも、本当に短い時間なら待つのもアリだと思います。
自己判断した上で、お許しも待つ、という安全策が大変効果的だと思います。
でも、コロナが季節性だったら今は束の間のチャンスだし、これが何年も続く長期戦になる可能性は専門家一致の見解です。
本来は、全員がリスク判断をした上で、
「その方法、良いね。」
「それって、ちょっと攻め過ぎじゃない?」
などのディスカッションを気持ちよく行うのが、コロナ共生時代の山での理想ではないかと思います。
「政府が~~って言ってんだから、守れよ。」というのは、文字通りの緊急措置です。
とはいえ、それを求めるのはシビアな判断を嫌がっている我々一人一人なのではないかと思います。
ゼロリスクを求める心理に合うように、政治が方針を出す、という繰り返し。
さて、とはいえ地元の方にわざわざ反感を買いに行くことも無いので、今回も行った山の名前は伏せることにします。