7月10日(金)は、山梨の低山偵察。
えのきどさん、チカさんと。
あくまで、仮定の話です。とある山が、入山禁止となり、看板、警備員、関係各所のHPなどでも周知されたとします。
法的根拠はありません。
ただ、山小屋が閉まっており、パトロール員もおらず、素人さんが登るには実際にリスクが高めだと思います。
もし、素人さんが押し寄せる状況を想定すれば、やっぱり危ないかもしれません。
一方で、山小屋なしでも日帰りロングコースを普通に歩いているような登山者から見たら、過剰措置にも見えます。
この状況で、もし強行登山に及んだ場合、過剰バッシングをされるリスクもあります。
もし、救助要請が必要になり、それが報道されれば、恐ろしい事態でしょう。
これは、素人さんが登ってしまうリスクを最小化するために、止むを得ない判断でしょうか?
次に、真逆の対策を想定します。
入山禁止にはしません。
山小屋、パトロールも無く、素人さんには登山がリスクが高いことを、丁寧に説明します。
ただ、過剰措置を避けるために、普通の登山者は登って良いとします。
この際、登山者の線引きが難しいので、本人の自由に任せます。
ただ、説明を工夫することで、99%以上の素人さんが登山したい山を変更したり、来年に延期するように誘導します。
そして、1%未満の素人さんが登ってしまったとしても、それで救助になってしまっても、過剰バッシングはしないように求めます。
「誰でも、山を甘く見積もってしまうことはあり得る。」という前提に立ちます。
(1%を越えてしまったら、啓蒙方法を反省する。)
自由、人権をまもるため、ある程度のリスクは許容します。
ワイドショーで煽る番組があっても、その視聴率を上げないよう、全国民が努力する必要があるでしょうか(笑)。SNSも。
「あなたは、どちらの山を望みますか?」
という程度の話です。
観光地化、大衆化された山では、前者を望む声が強まるのも分かります。
沢登りとか、雪山では、後者の色合いが強いです。
ボルトルートの人気エリアは、中間っぽい、という印象です。(整備されているのも、心理的な影響がありそう。)
その分野の人口が少ないと、自己責任&啓蒙の世界が成り立ちやすいのかもしれません。
マイナーなアウトドアスポーツほど、やる人の覚悟感も違いますしね。
文化の継承、みたいな感じです。
個人的には、自己責任&啓蒙の世界が好きです。
ただ、それだけで回らない社会構造を、今回のコロナでつくづく考えさせられます。
むしろ、「法的根拠を作れば良い」って考える人もいるわけですしね。
0.1%の死亡リスクと、自由権を天秤にかけるって、一般人とクライマー(あるいは本格的な登山者)で相当な感覚差がありそうですしね。
あと、「遭難されて迷惑」というのも誰でも抱きうると思いますが、ちょっと厄介ですよね。